2017年07月08日

最近は使われなくなっているお清めの塩

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人が亡くなってお通夜、告別式と一連の儀式が終わると遺体を荼毘に付さなくてはなりません。悲しいことですが、遺体となってしまった体は腐敗を始めてしまうので、故人の尊厳のために行うこととなります。そして、寛骨法要を行う場合には、火葬が済むと遺族と火葬場まで同行した参列者は遺骨、位牌と遺影と一緒に会場に向かいます。

この際、以前であれば会場の入り口で肩や背中、足元にお清めの塩をかけてもらうのは当然のこととなっていました。これは、人間が人が亡くなるということを穢れだと考えていた頃の名残だそうです。けれども、人が亡くなると言うことに対する考え方は宗教によって異なります。

キリスト教や仏教でも浄土真宗では穢れとは考えません。そのためお清めの塩をかけることは行いません。これは以前からそうであり、今に始まったことではありませんが、仏教の場合でも最近はその考え方に変化が見られるようになっています。

最近は、人が亡くなることを穢れだとことさら強調する必要はないのではないかという考え方をする人も多くなっているようです。そのため、お清めという言葉自体があまり使われなくなっています。葬儀に参列した際には、多くの場合会葬御礼と一緒に1000円程度の品物となる返礼品が渡されます。

以前はこの会葬御礼の中に小さな袋に入った塩が入っていました。参列者は自宅に帰り、家に入る前にこの塩を体にかけてから入るのが当たり前だったこともありましたが、最近はこの塩も使われなくなっています。大きな変化ではありませんが、人が亡くなることへの考え方もだんだんと変わっているということなのかもしれません。